バッド・ブレインズ

バッド・ブレインズのベスト盤を聞いている。

Banned in Dc: Bad Brains Greatest Riffs

Banned in Dc: Bad Brains Greatest Riffs

ワシントンDC出身のこのバンド、活動開始が79年だからニューヨーク・アンダーグラウンドにおける「パンク」ではなく、一度イギリスのパンクを経由したUSパンク・シーンが80年代初頭に出来上がっていくなかでは、デッド・ケネディーズブラック・フラッグなどと並んで、ハシリであったといえるだろう。でも「元祖USハードコア」として、語られることは少なかったと思う。「伝説的」ではあるのだが、言説の中では扱いにくい。なぜならば、それ以上の「特徴」が目立ちすぎていたから。つまり、パンクに出逢うまではフュージョンをやっていたとかで、そのテクニック的な洗練のされ方に注目が集まることも多い。でもなんといっても問題は「人種」である。ドレッドロックスの黒人が高速ハードコアをやっているとなったら、そりゃみんなそこに眼が行くのも当然だと思う。どんな過激な格好をするよりも強烈な特徴だから。その結果、その異様さが注目されすぎて、その音自体が語られてこなかったという側面があるのではないか。
で、肝腎な音はというと、ジャズ/フュージョン上がりというのが納得される。つまりむちゃくちゃ上手い(上手い結果か、どんどんハード・ロック/ヘヴィー・メタルっぽくなっていくんだが)。でも「ファンキー」であるとか、「ブルージー」であるとかの一般的に言われる「黒人性」がさして見えてこない。きちんと「パンク」なんである。黒人は「黒人的」であるべきであるという期待を裏切っているとも言える。バッド・ブレインズの語りにくさはここにあるんじゃないかと思う。
もちろん、ルーツ・レゲエもハードコアと並行してやっていて、そこに「黒人性」を見いだす言説もあるが、これも難しい。たとえばザ・クラッシュの場合とかは、レゲエもロックン・ロールもみんなクラッシュの音になるんだけど、バッド・ブレインズの場合は、レゲエはレゲエ、ハードコアはハードコアとして成立してしまう。別のバンドがやっているみたいに、それぞれが独立している。このベスト盤でも年代順、アルバム順の構成ではなく、前半はハードコア、後半はレゲエときっちり別れている。技術的ソフィスティケーションがそれを可能にしているんだが、それが統一された全体としての「バッド・ブレインズ」を語りにくくしているんじゃないかと思う。
じゃあ、どう位置付けるべきなのか。僕自身も分からない。「統一した全体」として制作者を語ること(これこそ近代的な芸術観であろう)を拒否しているのかもしれない。「語りにくさ」こそが重要なのかも知れないな。「黒人性」を語るなというメッセージなんだろうか。だらだら書いてきて、結論めいたことを提示できなくって申し訳ない(また、何か思いついたら書きます)。


ヴォーカルのHRがバンドを抜けてから結成したヒューマン・ライツ(人権!)というバンド(HR自体がHuman Rightsの略らしいからソロと考えた方がいいのかもしれない)のギグを見たことがある。ハードな曲もあったが、殆どはルーツ・レゲエ。これが良かった。これまで見たライヴのなかでもトップ・クラスの完成度だった。なんといってもHRの痙攣声で、切々と歌い上げられるともうぼーっとしてしまう位だったのを覚えている。「痙攣声」って書いたけど、これはジェロ・ビアフラ(デッド・ケネディーズ)などに通じるだけでなく、結構ジャマイカにもある歌い方のような気がする。「ソウル」っぽく、腹の底から声を出して歌い上げるのではなく、マイクを利用してへなへな声で歌うって言う。もしかしたらHRの声/歌唱法かな、面白いのは。


「ブラック・ロック」ネタ。フィッシュボーン、スライ、バッド・ブレインズときたら、次はリヴィング・カラーか(捻ってデファンクトという手もあるな)。あるいは初期ファンカデリック、さらにはジミ・ヘンドリックスという大物中の大物も控えているし。