メトニミーとシネクドキ

レトリックについて話す時、メタファー(隠喩)はとりあえずいいんだけど、隣接性に基づくメトニミー(換喩)と包摂関係に基づくシネクドキ(提喩)の違いについて、巧いこと説明できなくて困っていた。結構色んな本を見てもいろんな説が書いてあって困る。シネクドキとは、一部をもって全体を、あるいは全体をもって一部を表すもんだから、メトニミーの一種だって書いてあるヤーコブソンもそうであるよう)のもあるし、いや違うんだってのもあって。
まあ、普通は、メタファーvsメトニミーの話をしてたら良かったんだけど、最近、作品の「タイトル」とは何か、って話を講義でしていて、佐々木健一氏の『タイトルの魔力―作品・人名・商品のなまえ学 (中公新書)(この本は面白い!)を参考にして話をするんだけど、で、佐々木氏は、絵画に描かれているものをタイトルにする記述型のパターン(《四条河原遊楽図》とか《積み藁》とか、一番多いもの)は、メトニミーではなく、シネクドキだと言っている。なぜならば絵画に描かれた世界は、現実のフィジカルな世界ではないので、隣接関係は成り立たないからだという(上記p.206)。ちなみに、《ミロのヴィーナス》は、メトニミー型らしいが。
となると、メトニミーとシネクドキの区別を喋らないといけない。で、去年も今年(っていいうか昨日)も、記述型と隠喩型の違いさえ伝わればいいかと、その辺りはむにゃむにゃ言いながら流していたんだけど、瀬戸賢一氏の『メタファー思考 (講談社現代新書)』の「理論解説:メタファー早分かり」(203-06)っていうのが、すごくすっきりとメトニミーとメタファーの違いを解説している。


瀬戸氏によると、メタファー、メトニミー、シネクドキは認識の三角形を形づくるもので、やっぱりメトニミーとシネクドキは、別物として扱わなければいけないらしい。メタファーは似ている(有名な例では「白雪姫」)ってことでいい。メトニミー(「赤ずきんちゃん」)っていうのは、あくまでも現実世界の隣接関係--主人公の娘がいつもかぶっているもの--に基づくのに対し、シネクドキ(「人魚姫」)は、意味世界における包摂関係、すなわち類をもって種を表すものであると。なるほど、現実世界と意味世界の違いね。
以下の例が挙げられている。

  • 月見うどん(メタファー:卵黄と月は似ている)/きつねうどん(メトニミー:油揚げは狐の好物)/親子丼(シネクドキ:親子という類で、鶏と鶏卵という種を表す)
  • たい焼き(メタファー:鯛に似せたかたちをしている)/たこ焼き(メトニミー:蛸が実際に中に入っている)/焼き鳥(シネクドキ:鳥という類で、鶏を表す)

なるほど、これはよく分かる。


で、タイトルの話に戻ると、また疑問点が出てきた。確かに、「積み藁」は現実世界のものではなく、絵の中のものだけど、でも絵画の外の世界を参照している訳だから、シネクドキじゃなく、メトニミーでいいんじゃないの?という疑問(「赤ずきんちゃん」だって、お話のなかの世界だし)。で、この辺りが、メトニミーであるとして、じゃあシネクドキは?って考えると、たとえば《破墨山水図》などのように「技法+ジャンル名」の場合が、シネクドキなんじゃないかと(「山水図」は「山水を描いた絵」として考えるとメトニミーだけど、「山水図」というジャンル=類として考えると、シネクドキでいいかと思う)。その伝でいけば、工芸やデザインの「タイトル」っていうのもシネクドキが多いか(《青磁平皿》とか《アーム・チェアー》とか)。


あ〜、そろそろ出かけなきゃ。もう少しゆっくり考えよう。この辺りにお詳しい方、コメント頂ければ幸いです。